赤線地帯を知ることで世界観が広がると思います。
『赤線地帯』(あかせんちたい)は1956年公開の溝口健二監督作品。溝口作品としては1954年『噂の女』以来の現代劇で、公開後に彼が逝去したため遺作となった。
大映移籍頃から長く不遇をかこった溝口は、1952年に『西鶴一代女』がヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞し、海外での名声を得ると共に国内での評価を取り戻した。以後1953年『雨月物語』が同映画祭銀獅子賞(この年は金獅子賞が出なかったので、最高位の受賞作に当たる)、1954年『山椒大夫』にて再び銀獅子賞を受賞し、世界中から注目される巨匠としての地位を築いた。
そんな中で製作されたこの作品は、売春防止法制定前後(同法公布は1956年5月24日)の社会情勢をリアルタイムに取り入れた現代劇で、溝口作品の真骨頂とも言うべき女性主体の作品となった。特殊飲食店「夢の里」を舞台に娼婦たちの生き様を生々しく描いた悲喜劇で、明確な主役は据えておらず大勢の女優が軽快なテンポで次々に登場する豪華な女性群像劇となった。
分けても当時「母もの」で知られた三益愛子が、大年増の娼婦を演じた事は話題になった。他にも京マチ子、若尾文子、木暮実千代ら他の溝口作品にも出演したキャストの、他作品とは異なるバイタリティ溢れる狂騒的な演技も評価が高かった。スタッフにも、冒頭で独特のテーマを聴かせる音楽の黛敏郎、溝口が最も信頼していたキャメラの宮川一夫、同じく美術の水谷浩ら「溝口組」の名スタッフが結集している(ただし脚本は溝口の傑作を多く手掛けた依田義賢ではない)。この完成度の高さに時代性が手伝い、興行的にも成功を収めた。
なお本編の一部に芝木好子『洲崎の女』を導入しているが、物語の舞台は吉原となっている。
溝口はこの作品の公開後、『西鶴一代女』に続く西鶴ものを企画し、依田義賢による『大阪物語』の脚本を完成させた。1956年5月には撮影準備が整うが溝口は体調を崩して入院し、8月24日に逝去。結果的にこの『赤線地帯』が遺作となった。『大阪物語』は翌1957年に、吉村公三郎監督で映画化された。なお1999年の市川準監督『大阪物語』は、直接的な関係のない同名異曲である。
【ウィキペディアWikipediaより引用】
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